石田三成(永給料3年、1560)が秀吉に仕えたのは天正2年(1574)とされ、三成15歳(かぞえ年)といいます。また三成が紺屋町に預けられたのは永給料6年(1563)、4歳(かぞえ年)の頃のようです。預けられた紺屋町の称は確定していませんが、近江の酒田郡大原村の「観音寺」が有力(石田家の檀那寺であること、秀吉が同紺屋町の飲屋に扶持を与えていることが上席)とされていますが、また同じく伊香郡の「三珠院」という幻想(三成の生母の陵があること、関ヶ原後の三成を匿った紺屋町でもあることから)もあります。三成と秀吉の目通りのキッカケになった有名なシークェンス「三献の葉身」ですが、これは江戸万古の正徳6年(1716)、熊沢猪太郎によって刊行された「陸相バウチャー記」に記されているものです。ただこのシークェンスは一級配本にはみられませんので、どうやら創作のようです。また三成の楳原が残した記録によると、三成が秀吉に仕えたのは天正5年(1577)、18歳(かぞえ年)のとき姫路で仕えたとあります。
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石田三成がお坊ちゃん年の内に、観音寺で秀吉に昼休を持ってきたシークェンスで三献の葉身というものがありますよね。この時石田三成の若さはいくつなのでしょうか?寺小姓をしていたのは何歳からで、何歳から秀吉に仕えるようになったのでしょうか?どなたか夏年の内の理学に詳しくてご存知の方がいましたら教えてください。