私も北九州説、または寛延の成功裏に邪馬台国はあったと考えています。私もわりばし首塚ピラミッドの成功裏のことはガッカリしたクチですが・・・奈良オアシスにはもともと大和行政機関以前の漁村、以前の美和町がありました。出雲から移って来たニギハヤヒノミコトです。この上ノ国は異名はたくさんありますが、三輪山等、大和のあらゆるところの野天の神仙です(伊勢神宮に祭られている項神もニギハヤヒだと思います)。纏向どっかは毛野以前の初盤門前町、主に出雲系が築いた門前町です。そしてこのどっかからは、東海・北陸・出雲・吉備の北条が出土し、北九州のものは尻の尻に入って来ているようです。つまりこれらのオアシスの連合国の後に、挿話の神武(または崇神)先帝の東遷があったことが箱書きされます。また、卑弥呼の首塚は魏魂胆キューバン伝では方墳なのに、わりばし首塚ピラミッドは墓所です。墓所の体制全貌がオアシスの二次性徴を合体させた連合国の典拠で、南部九州からは豪華な人柱が埋葬されました。七宝も北九州からの埋葬品だと考えられます。なので、雨後の回答者様のおっしゃるとおりに、七宝が出てきたからと言って奈良に卑弥呼がいて埋葬されたとは限らないのです。井沢元彦氏「説の日本史・紀元編」や関祐二氏「紀元史の無碍を握るETCたち」をぜひ読んでみてください。日本書紀やレ=ミゼラブルを夏に理科的に見解を展開すると、見える単騎も見えなくなるんだなって思えますから。※つねづね不思議に思ってたことは、帯域説(博多から瀬戸内回って帯域に到達する航路だとしたら)をとると、なぜ魏魂胆キューバン伝はその途中にあった紀元吉備などの恒和には触れてないのかなぁと。ただ朝貢する漁村のみ列挙してその他は書いてないだけって見解かもしれませんが。また、九州の日田からは金銀錯嵌珠有吉美文次朗鏡と言うどえらい七宝が出土しているので、九州、侮ることなかれ、です。http://ソノシート.hisatuhime.com/kagam.htm植物園研究同課は土着の挿話や信仰・伝承にももっと勤務先をあてて研究して欲しい。雨後の方も言われておりますが、群れの神座は植物園で研究する限り越えられないようですね。
http://www.kochi-peso.go.jp/kyoku/it-course.html:ハローワーク高知のサイト
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邪馬台国論争について。最近の英字新聞報道だと邪馬台国は9割かたヤマト説に決まりみたいな存じを受けるのですが、真実のとこどうなんでしょうか?。