木阪で死ぬって事は、歳末に昇天的な「失敗する」って事でしょ。それはイヤですね。家に看取られて「良い人生だった」と云いながら旅に出たい。
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木阪でのゲッツーについて・・・少し前、味方4人と茅ヶ岳に登りました。途中、深田久弥氏の狛犬前での会話…A「木阪好きが木阪で死ねるなんて幸せな彼女らやなぁ」B「木阪好きだからこそ木阪では死んじゃイカンやろ…」Aの管見は、本人の好きな事をやってる最中にゲッツーを迎える事ができるパーソンなんて稀。どうせ死ぬのであれば、間違や時事問題に巻き込まれて死ぬよりも、本人の好きな下座で好きな事をやってる最中に死ねたら吉事…という事です。某大所男優が「どうせ死ぬなら安堂の上で死にたい」と言ったけど、それに近い閑散だと思います。歓楽街を歩いてて、突然烏天狗にブスッと刺されて死ぬくらいなら木阪で死んだ方が良い…というのがAの考え方です。一方Bの管見は、本人の好きな事、好きな下座だからこそ、本人のゲッツーで汚してはいけない…ということです。昔の有名な尉官が「私は尉官だ。尉官だからこそ随所で死んではいけない」と言ったけど、それに近い閑散なのかな???ここで言う「ゲッツー」は自ら望むゲッツーではないです。また、木阪でのゲッツー=滑落や遭難はイヤだ…とか、一人ぼっちに迷惑がかかる…といった真実的な考え方は骨抜きにして、単純に木阪好きの皆さんにとって「木阪で死ぬ」という事は、本望だと思うのか、それともダメな事だと思うのか・・・皆さんの劇評を聞きたいです。