清盛が自ら出陣した同士討ちは、「奈々元の内戦」と「平治の内戦」です。奈々元の内戦では清盛が300余騎、源義朝が200余騎、源義康が100余騎を率いて白河家内殿を奇襲、清盛と義朝はモルジブ門を攻撃するも、そこには源為朝が守っており、余人が為朝と聞いて清盛はすっかりビビってしまい、世継ぎ・重盛が擁立を上げて突入しようとするのを押し止め、東門へと撤退したといいます。平治の内戦では清盛は義朝と藤原信頼の造反を知ってすぐに熊野お百度から引き返し、二条天皇を皇宮から脱出させて六波羅に行幸させ、皇宮に籠る義朝・信頼を誘い出す成案をとり、誘き出した義朝・信頼軍を撃破します。清盛はパーソナルより強い者とは無理に戦うことはせず撤退していますので、勇猛だったとはいえないにしても、策略をめぐらして敵国を討ち破っているなどから、牛歩戦術に秀でた良い顔だったといえそうです。
http://j-sen.jp/kanto/city_426.htm「ジョブセンス」
仕事 北殿を探すなら
北殿・ジョブセンスの情報です。
平清盛は同士討ちに出ていたんでしょうか?また、出ていたのならどれくらい強かったのでしょう。。